けものフレンズ11話と阿鼻叫喚について思ったことを書き散らかしておくメモ

けものフレンズ、11話観ました。ネタバレになる要素があちこちに散らばっていると思うので、未視聴でネタバレを避けたい方は読み進めないことをお勧めします。

とりあえず今のところこんな感じなのかな、と考えているシリーズ全体の構成としては

 

・第1話から第10話まで。

各話の冒頭で提示される問題とその解決を通して、当初パークについて何も知らない、部外者であったかばんちゃんがジャパリパークのフレンズたちとの交流して、ジャパリパークの一員」となっていく様を描いていく。

 

・第11話と第12話。

10話までで断片を示した「パークの危機」、あるいは巨大セルリアンとの戦いという話のクライマックスを描く。(最後はかばんちゃん、あるいはそうだった存在とサーバルで締めくくられるんじゃないかなぁとぼんやり思っているけれど、これはどっちかというと自分の趣味)

第11話がドラマフォールで、ここまで何か困難を乗り越えるときの要となっていたかばんちゃんが失われたことで事態が一気に悪化すること(とまではいかずとも、主人公が倒れるという一大事)を描く。

第12話はそこからの復活、エンディングに向けてどん底から一気に這い上がっていく様子を描く。

 

といった感じのもの。

ドラマフォールについては、その落差を大きくすることによって視聴者ないし読者の感情を揺さぶるのが目的なので、現在あちこちで見られている阿鼻叫喚は演出上意図していたものなのではないだろうかと思う。ここまでの視聴者たちのジャパリパークへの愛着と言えばいいのか、思い入れとでもいえばいいのか(どちらもやや大げさな気はするけど)まあ、そういったものもこの落差の威力を増す(ドラマフォール前のカバード・ピークを高くしている)事となっているのではないかと思う。大袈裟な言い方をするならば、ここまで徹底してジャパリパークとそのフレンズたちを優しい、安心できる存在として描いてきたのも視聴者のパークへの愛着を(かばんちゃんのそれとリンクさせるように)大きくさせるよう意図したものなのかもしれない。そして、その中でちりばめられてきたドラマフォールへの伏線が一気に効果を発揮したのが第11話のラストなのではないかと思う。

 

阿鼻叫喚参考

dic.nicovideo.jp

また、余談にはなるが第11話でかばんちゃんが山頂?から海の外にある島を見たこと、そして「(パークの危機となる巨大セルリアン退治のために)船を沈める」ということを決めたことはけっこう大きなポイントとなるのではないかなと思う。海の向こうに島がある、ということは「海を越えて他の人間を探しに行く」というかばんちゃんの目的達成において中間ポイントとなる場所が示されていることであり、船を沈めることを決めたのは、目的達成に必要不可欠なものを諦めるほどかばんちゃんがパークの危機を重要視しているということの表れだと受け取れるからだ。

 

とはいえ、なぜ第11話ラストでかばんちゃんがわざわざセルリアンに呑みこまれたのかはわからない。わざわざラストで、その理由について説明できる描写のないままそういう展開としたということは次の話でそれを受けてさらにうごきがある、と言うことなのだろうとは思うが・・・。